【フォト巡礼】「幸天大明神の額」

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【フォト巡礼】「幸天大明神の額」

 

初のキリシタン大名となった大村純忠は、宣教師の要請で1574年(天正2年)に領内のキリスト教への一斉改宗に踏み切った。拒否する領民や僧侶達には追放や弾圧を加え、寺社仏閣は焼き討ちにして破壊した。それら対象のひとつに郡川沿いの昊天宮が挙げられる。

掲載の写真は焼き打ちに遭った同昊天宮所蔵の大明神の額を撮影した作品である。現在では同昊天宮境内の小さな社に安置されていて、祖神の風貌が漂う素朴な神様である。

尚、同昊天宮は2千年程前の弥生時代に肥前国彼杵郡(こおり)地域の鎮守として、郡川流域の平地(現在の沖田町付近)にあったと言われている。

  • 撮影日時:令和2年(2020年)4月1日 午後5時頃
  • 撮影場所:大村市宮小路
  • 撮影者:池田勉

※写真の著作権は撮影者にあります。著作権法によって認められる場合を除き、写真を利用することはできません。
※撮影者は被写体の人物や所有者に許可を取ったうえで撮影しています。教会堂内の写真撮影は基本的に認められていませんのでご注意ください。

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
より(毎週金曜日更新)

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