【フォト巡礼】「『原城への道程(みち)』(その8)一揆軍の戦死者たち」

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【フォト巡礼】「『原城への道程(みち)』(その8)一揆軍の戦死者たち」

寛永15年(1638年)4月12日(新暦)鎮圧する幕府軍の総攻撃を受けて、兵糧が無く疲弊した一揆軍は遂に力尽き総勢2万数千人とも言われる軍勢は全滅している。その一方で幕府軍も死者凡そ2千人、負傷者凡そ1万人を出し被害甚大であったとされる。原城周辺には一揆軍の多くの首が晒されて遺体は原城の堀などに埋められたとされる。また石垣等を含めて原城は徹底的に破壊されている。

掲載の写真は原城の本丸正門前を撮影した作品であが、石垣前にも多数の戦死者を埋められたとされ、平成4年からの原城跡発掘調査によれば本丸正門跡からも多くの人骨等が出土している。

  • 撮影日時:平成27年(2015年)5月14日 午前10時半頃
    撮影場所:南島原市南有馬町
  • 撮影者:池田勉

※写真の著作権は撮影者にあります。著作権法によって認められる場合を除き、写真を利用することはできません。
※撮影者は被写体の人物や所有者に許可を取ったうえで撮影しています。教会堂内の写真撮影は基本的に認められていませんのでご注意ください。

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
より(毎週金曜日更新)

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