先週と今週は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の学校教育用補助教材に記載されている潜伏キリシタンの歴史をご紹介しています。
今週は 6 からスタート。ひどい政治に怒ったキリシタンたちが戦争(島原・天草一揆)をおこしたあとのお話です。
6.キリシタンが恐ろしくなったお殿様は、神父が日本に入ってこないように港をとじてしまいました。
7.日本には神父がいなくなり、教会もなくなりました。そして、長崎と天草地方のキリシタンは、「潜伏キリシタン」となりました。
潜伏するようになった理由も明確ですね。
8.外海で人口が増えすぎて暮らしにくくなったので、潜伏キリシタンは、五島などに引っ越していきました。
9.それから50年くらいたつと、日本はまた色んな外国とのおつきあいを始めました。長崎の「大浦」というところに、外国の人々が住む町をつくりました。
10.大浦天主堂に神父がいることをききつけた浦上村の潜伏キリシタンが、プティジャン神父に自分たちがキリスト教の教えを守り続けてきたことを話しました。そして、潜伏キリシタンは、他の村からもやってきましたが、日本ではキリスト教が禁止されていたので、つかまってしまいました。
「信徒発見」から各地で起きた弾圧へと続く表現は見事ですね。
11.外国の人たちが日本に注意したこともあって、日本でもキリスト教を信じることができるようになりました。
12.キリスト教を信じている人たちの村では、神父と協力しながら教会を建てました。
どうでしたか、2週にわたってご紹介した潜伏キリシタンの歴史。あらためて平易な文章、わかりやすい表現の大切さを実感します。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)
長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・おらしょ通信(vol-299)
より(毎週月曜日更新)
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