6月1日は「写真の日」。公益社団法人日本写真協会が1951年(昭和26年)に制定しました。
同協会によると、わが国に写真が渡来したのは嘉永年間とされており、最初にダゲレオ・タイプ(銀板写真)の撮影に成功したのは1857年(安政4年)9月17日。薩摩藩士が藩主である島津斉彬を撮影したものだといわれています。
それにも関わらず6月1日が写真の日に制定されたのは、当初、長崎奉行の御用時計師である上野俊之丞が島津斉彬を撮影したという1841年(天保12年)6月1日が、日本で初めて写真が撮影された日とされていたからでした。
その後の調査でこれが誤りであることが確認されたのですが、当協会は引き続き6月1日を写真の日として各種行事を行っているそうです。
上野俊之丞は、写真の開祖といわれる上野彦馬の父。御用時計師としてだけではなく、さまざまな分野に精通していた化学者でした。
そういった環境で育った彦馬は早くから学問の道に入り、その後、写真術の研究に没頭。20歳の頃には自作の写真機を開発して撮影に成功しました。
.そして1862年(文久2年)、25歳のときに長崎市の中島川のそばに撮影局を開設。営業写真家としての第一歩を踏み出したのです。
開業当初は外国人が訪れる程度でしたが、明治に入って坂本龍馬や高杉晋作などが訪れるようになると、日本人客も増え撮影局は大繁盛。伊勢町の大神宮前から撮影局まで客待ちをする人力車がずらりと並んでいたそうです。
彦馬は1836年(天保9年)生まれ。一説によると無口で内向的。無類の猫好きで多くの猫を飼っていたといわれています。
そんな彼は、キリシタンへの厳しい弾圧の時代を生きながら、大浦天主堂の誕生や浦上四番崩れ、さらに禁教令の高札の撤廃などといった出来事をどのようにとらえていたのでしょうか。
営業写真家として成功を収めた人生よりも、史実の奥に眠る彼の想いにこそ興味がわいてきます。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)
長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・おらしょ通信(vol-305)
より(毎週月曜日更新)
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