9月14日は十字架称賛の日。キリスト教を公認したローマ教皇コンスタンチヌスの母が、西暦320年頃のこの日、キリストが磔に処せられた十字架を発見したという伝承に基づいているようです。
キリストが処刑されたのは1世紀前半の30年頃といわれていますので、十字架の遺物が見つかったのはそれから約290年後のことでした。
同じように、日本二十六聖人が殉教した場所が「西坂」だと確定したのは事件が起きてから350年もあとのこと、第二次世界大戦後だといわれています。
数々の記録にはカルヴァリオ(キリストの処刑地)のようだと書かれていたものの、はっきりとした地名が記載されていなかった26人の殉教地。
それを探そうと動き出したのが「信徒発見」という歴史的瞬間に立ち会ったプティジャン神父でした。
長崎の地図を片手に史跡をたずね、人々から話を聞き、一般罪人の刑場が首塚であることをつきとめた彼は、「立山」が殉教地であると考え教区長に報告しました。
その後、それは立山ではなく西坂であることが判明したのですが、どうすることもできずに日本は戦争に突入してしまったのです。
そして1950年、ローマ教皇によって西坂殉教地は公式巡礼地に指定され、56年には長崎県の指定史跡になりました。
1597年2月5日、26人の処刑を見ようと西坂の丘にかけつけた群衆は約4000人。それだけ多くの人々が立ち会ったにも関わらず、長いあいだ特定されなかった西坂殉教地。
2世紀以上にもわたる禁教期もまた、都合の悪い真実を葬り去ろうとした時代だったといえるのです。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)
長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・おらしょ通信(vol-320)
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