今日11月9日はベルリンの壁崩壊の日です。
ハンマーやツルハシで壁を打ち砕き、よじ登ってくる人々を迎え入れるように引き上げる若者たち。31年前、壁の上で繰り広げられた歓喜あふれるシーンをテレビなどで観た人も多いでしょうね。
第二次世界大戦で敗戦国となり、ソ連、アメリカ、イギリス、フランスの戦勝4カ国によって分割占領されたドイツ。その後、東西の対立によって二つの国が成立し、首都ベルリンも東ベルリンと西ベルリンに分断されました。
それでも東ベルリンから西ベルリン経由で西ドイツへ流出する人が増えたことから、東ドイツは1961年に往来を禁止する巨大な壁を建設しました。
ところが壁を乗り越えて西へ逃れようとする市民はあとを絶たず、壁の誕生から崩壊までの28年間で越境を試みた人は5000人以上。そのうち200人以上が国境警備兵によって射殺されたり、川を泳ぎきれずに溺死したりしたそうです。
日本の禁教期、役人に追われ、ついに捕らえられて殉教した潜伏キリシタンのことが思い浮かびます。
市民の大量出国に悩まされていた東ドイツ政府が対応策としてとったのが、旅行および国外移住の大幅な規制緩和。
これがきっかけとなって起こったベルリンの壁崩壊は、東西ドイツの統一だけではなく、東欧の民主化や東西冷戦の終結への足がかりとなりました。
人々は自由を謳歌できる時代の到来を感じ、希望を抱き歩き始めたことでしょう。
しかし壁の崩壊から30年以上がたった今も、世界中のさまざまな場所で国と国、民衆と政府の対立は続いています。
もはや権力を行使するだけの解決策では、双方を隔てた壁を取り除くことができないばかりか、その溝は深まるばかりです。
力で押し切るのではなく、継続的な対話を。歴史が差し示すものは大きいと思います。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)
長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・おらしょ通信(vol-328)
より(毎週月曜日更新)
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