今や感染症対策の必需品であるマスクですが、日本で使用されるようになったのは明治初期のことでした。
当時のマスクは、真ちゅうの金網の芯に布地のフィルターを取り付けたもので、主に鉱山で働く人たちの防塵用だったそうです。
その後、1918年頃のスペイン風邪の大流行をきっかけに予防品として注目されるようになり、徐々に普及していきました。
日本ではそれまでも天然痘などの感染症が流行していましたが、ペストや黄熱病などのように世界的な大流行に巻き込まれることがなかったため、医学的な感染症対策はほとんど行われていませんでした。
それではその頃の対策とはどんなものだったのでしょうか。
それは加持祈祷(かじきとう)にたよったり、疫病退散のお札を戸口に貼って家に閉じこもったりするなど、古くから伝わる極めて呪術的なものでした。
わが国で最初に猛威を振るった感染症は江戸時代後期に流行したコレラでした。
当時、宣教師不在のまま、指導者の家で祈りや信仰儀式を行っていた潜伏キリシタンにとってこの疫病の流行は幕府の厳しい弾圧と同じくらい、いやそれ以上の脅威だったかもしれません。
このときはオランダ医師ポンペなどの治療法が一定の効果をみせたことから、江戸幕府は洋書調所に命じて治療法や予防法などを記した書物を刊行。
今も残るこの書物には、身体と衣服を清潔に保つこと、室内の空気循環をよくすること、適度な運動と節度ある食生活をすることなどが書かれているそうです。
感染症対策の基本は今も昔も同じなのですね。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)
長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・おらしょ通信(vol-352)
より(毎週月曜日更新)
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