小学生部門 長崎県知事賞 支えあい、助け合う  長崎市立南陽小学校 6年 こみね あや パラリンピックって何のことだろう?オリンピックのことは知っていました。でも、パラとは何なのだろう?それが障害とともに生きるアスリートたちの国際大会であることをようやく知ったのは、つい最近です。知るきっかけとなったのは、 二〇二一年の東京パラリンピックに出場した車いすバスケットボールの選手の鳥海連志選手の存在です。 鳥海選手は、私が通う小学校の大先輩にあたります。校舎は当時のままなので、同じ空間で鳥海選手が過ごしていたと思うと、嬉しくもあり、不思議な気持ちにもなります。自まんできる先輩がいる嬉しさと、エレベーターもなく段差が多い 校舎内でどのように過ごしていたのか、とても気になってしまいます。考えてみると私の通う学校には、身体障害、知的障害などに対応する特別支援学級が四つあります。私は、その学級にいるある男の子と授業の班が同じです。その子は、 字を書くのが苦手なので、同じ授業の時は、班の人たちで字をうすく書いて、その子がなぞり書きできるようにしています。また、委員会活動でもその学級の子と同じなので、漢字には読みがなを書きます。他にも、委員会活動で必要な文章 を一緒に書いたりして、誰かのできないことを周りの人ができることに変えています。大変なことなんて全く感じずに自然にやっています。いつもの学校生活を思いうかべると、施設や設備が問題で過ごしにくいことより、周りの人たちの助 けがないことの方が問題なのかもしれない、と感じています。鳥海選手が通っていた時も、もしかしたら周りのお友達がさり気なく手を差しのべていたのかもしれません。いつものことですが、苦手を感じているクラスメイトには、今まで通 りのお手伝いをこれからも続けて過ごすようにしたいです。もうひとつ気になったことがあります。インターネットで身体障害について調べたとき、身体障害に、内部障害というものがあることを知りました。内部障害は、主に心臓や肝臓の 病気のことで、「見えない障害」です。「見えない障害」で悩む人のために「ヘルプマーク」というマークがあります。ヘルプマークは、外見からわからなくても援助を必要としている方のためのマークです。このマークを見かけたら、電車 やバスの席をゆずったりして、助けたいです。また、視覚障害者が白杖を両手で持ち、上にかかげていたら、それはSOSサインだそうです。優しく声をかけてすぐに助けようと思います。「わかっていてさり気なくお手伝いする方法」「マ ークのことなど知識を得ていて、必要に応じて動く方法」「ヘルプの訴えがあって、すぐに助ける方法」など、私たちからの手を差しのべる方法はいくつかの種類があります。手を差しのべる、といっても、みんな同じ人間です。毎日元気に 生きています。障害がある人もない人も関係なく、得意なこと、苦手なことがあります。みんなで助け合って、苦手なことやできないことを、できることに変えていくことが大切だと思います。毎回オリンピックのあとにパラリンピックが開 さいされます。家族全員でテレビで観戦することがあります。オリンピックと変わらないくらい熱中して応援します。選手たちの熱い思いは、障害なんて関係ないんだな、と思ってしまいます。できないこと以上にできることを極めた選手た ちはとてもカッコイイです。障害がある人もない人も関係なく、どんな人も、自分がやりたいことを楽しめています。自分が決めた目標に向かってがんばることは誰もが平等にできます。でも、一人ですべてやるには誰にでも限界があります。 「誰かが」ではなく「私たちが」おたがい「支え合い、助け合う」ことでみんなが幸せな社会ができるのではないでしょうか。 小学生部門 長崎県教育委員会教育長賞 おじいちゃんの目 雲仙市立鶴田小学校 4年 よこた れんか 私には、島原に住んでいるおじいちゃんがいます。おじいちゃんは、目が私よりとても悪いです。買い物に時々ついて来ます。家から車に乗るまでは、まっすぐ、自分で歩いて運転席のとなりのドアを開けて、しめて乗ります。おばあちゃんが運転している時 は、まっすぐ前をおじいちゃんは見ています。お店についたら、おじいちゃんは、ドアを開けて、外にでます。そこでまっていると、おばあちゃんがむかえに来ます。お店の中にみんなで行きます。おじいちゃんのひじを、おばあちゃんがにぎってつれて行きます。 私は、小さい時から、その姿を見ています。お店で、そんな人は、ほかにはいません。手をつないで歩いている男の人と女の人は見たことはありますが、ひじをもっている人は、あまり見ません。おばあちゃんが、とつぜんちがう所に行ったと思ったら、お母さんがお じいちゃんのとなりに来て、おじいちゃんのひじをもって歩き始めました。二人がいなくなることがないので、私がにぎる番はまわってきません。おじいちゃんに物を見せるとき、おばあちゃんが「こっちが上よ」「こっちが下よ」と言ってねだんもお しえています。おじいちゃんは、手でさわって、買うかどうか決めています。私も目をつぶってさわりますが、わかりませんでした。帰りは、ドアの所までおばあちゃんがつれて行くと一人で車に乗れて、家までたどりつけました。この間おばあちゃんの家に行った時、 みんなでかたづけをしていると、おばあちゃんが見せてくれた物がありました。おばあちゃんがお母さんに、「りえ、はくじょうもらってきているとよ」と言いました。はくじょうって何だろう。お母さんに聞いてみると、「目が見えない人が歩くためのぼうよ」と教 えてくれました。私は、そのぼうは、短い三本のぼうに分かれていたのでわかりませんでした。三本のぼうをのばしたら、ドラマで見たことがある長い白いぼうになりました。使い方は、ドラマで見たことがあったけど、短くして、なおすとは、知りませんでした。 おじいちゃんに、私ができることは、ごはんをいっしょに食べるとき、皿におかず、ごはんをとってあげて、こまっている姿があったら手をつないで、ひっぱってあげることです。私にできることをこれからしていきたいです。 小学生部門 長崎県社会福祉協議会会長賞 ひいおばあちゃんとの思い出 長崎市立山里小学校 2年 たていし あらた わたしのひいおばあちゃんは、きょ年の五月に、とつぜんのうこうそくになり、左の手や足にしょうがいがのこりました。今年の夏休みに、はじめてひいおばあちゃんの家にとまりました。ひいおばあちゃんは、一人で生かつができないので、おばあちゃんや、 きょうだいがじゅんばんにおせわしています。トイレに行くときには、一人で行くとあぶないので、だれかがついて行くか、へやのトイレをつかっていました。あるくときは、つえやほこうきをつかって、ゆっくりだけど、じぶんであるくことができていました。 でも、あるいているときに、もしころんでしまったらあぶないので、とてもしんぱいでした。ひいおばあちゃんといっしょにすごして、わたしもなにかお手つだいをしてたすけてあげたいなと思ったので、ひいおばあちゃんのきがえを手つだおうとしたけれど、 わたしにはうまくできないので、おばあちゃんがしてくれました。しんぱいなことがたくさんあったけど、たのしいこともたくさんありました。それは、ひいおばあちゃんと、トランプをしてあそんだり、いろいろなおはなしをしたりして、いっしょにすごせたことです。 トランプのときは、手がうごかしにくくて、むずかしそうだったけど、たのしくて、ひいおばあちゃんもたくさんわらってくれたので、うれしかったです。ひいおばあちゃんは、体を自ゆうにうごかすことはむずかしいけど、おしゃべりはうまくできるので、い ろいろなおはなしができてよかったです。いっしょに体をうごかしてあそぶことはむずかしいけど、しょうがいがあっても、いっしょにわらったり、いっしょにたのしいじかんをすごすことができるんだなと思いました。 わたしも小さいころ、お父さんやお母さんに、みのまわりのことをたすけてもらったように、自ぶんができる手だすけを、だれかにしてあげられるといいなと思います。 小学生部門 長崎県身体障害者福祉協会連合会会長賞 安心してくらせる世の中にするため 島原市立第一小学校 5年 さとむら ゆきな わたしの身の回りにはいろいろな人がいます。今回は、しょう害がある人、ない人について考えてみようと思います。しょう害のある人でもいろんな人がいます。目が見えない人、耳が聞こえない人、手足が不自由な人、いろんな人がいます。わたしは、生活してい て気になったことがありました。 ある日、お母さんとスーパーに買い物に行ったときです。スーパーには、にんぷさんや車いすを使っている人など車から乗りおりしやすいように広いちゅう車場があります。そこに、車を止めた人がいました。するとふつうの人が車からおりてスーパーに入っていき ました。そのとき、ちゅう車場はたくさんの車が止めてあって、車を止めれずに困っている人もいました。だけど、しょう害者用等のちゅう車場に何も考えずに止めた人を見てだめなのにと思いました。そこでもし、しょう害のある人やけがをした人が止めれなかったら と考えました。わたしは車をおりるとき、よくお母さんにとなりの車にぶつけないようにと言われるので注意しながらおります。そのとき、「せまいな、おりるのが大変だな。もっと広かったらいいのにな。」と思います。ふつうの人でもせまいと思うところにも し車いすの人などが車を止めるともっと大変だと思います。でも、何にも考えずに車を止める人がいると、そこに止めたいと思っている人は車を止めれずに困ると思います。今は空いているから止めても大丈夫だとかんたんに考えて自分のことしか考えていない人を見 て何でそんなことができるのかと思いました。車いすを使っている人などが車を止める場所は少ないのに、そこに車を止める場所がないからといってふつうの人が使ってしまうのはだめだと思います。 こんなことが自分の身の回りで起きていることを知ってこれからどうしたらいいか考えました。いくら止める場所がなくてもそこに車を止めてはいけないとみんなが思うことが一番大切なことだと思います。もし自分がけがをし、車いすをつかうことになったら自 分も困ると思います。一人一人がしょう害者など人の立場になって行動すればみんなが安心して出かけることができると思います。わたしはまだ運転しないので、ちゅう車場に車を止めることはないけど、ちゅう車場問題だけじゃなく他にも点字ブロックの上に物を置い たりしたら目の見えない人が困るので置かないようにしたりとしょう害者の人の立場になって生活していこうと思います 小学生部門 長崎県知的障がい者福祉協会会長賞 今年の夏休み体験したこと 島原市立第一小学校 5年 ほんだ かこ 私のお父さんは、知的障がい者福祉しせつ普賢学園の、社会福祉士の資格を持つ園長です。今年の夏休みの初めに「天草学園」というしせつに、家族でボランティアをしに行きました。天草学園は、知的障がいがあり、親がいない一八才までの子どもがいるしせつです。 お父さんに、「めっちゃがんばって働けよ。」と、言われたので私も「よし。がんばるぞ。」といきごみました。最初は、まきずしを天草学園の高校生たちとつくりました。みんな、ボランティアの人達にしたがってきれいなまきずしをつくりました。クッキン グが終わると、みんなでオペラ公演を見に行きました。天草学園の人達を見ていると、とても楽しそうに笑っている姿を見て私も、自然とうれしくなりました。オペラも終わり、天草学園の夕ごはんの時間になったとき天草学園のみんなが、ゆかたを着てイスにすわ りました。そのときのみんなの顔はオペラ公演と同じくらい笑っていました。そして、今日の様な日は、年に一度だけしかないと天草学園の園長先生から聞き、「私があたり前と思っている日常は、全然あたり前じゃないんだ。」と考え、ありがたみをたくさん感じてい こうと思いました。天草学園の夕ごはんは、京都の高級な店から、板前さんが来てくれ、ステーキなどをふるまってくれました。私は、みんなのコップにお茶を注いだり、すしなどを運んだりして働きました。 私は、この夏休みをきっかけに、どんなことにもありがたみをもって行動することや、みんなで協力して、みんなでその時間を楽しくするチームワーク性を学びました。そして、しょうらいの夢の社会福祉士の気持ちがもっと大きくなりました。社会福祉士になれたら、今 よりもっと幸せをふやしたりして、天草学園での体験を大人になってもいかしていきたいと思いました。また、お母さん、おばあちゃんが料理してくれる、おじいちゃんがおこづかいをくれる、お父さんが、遠くに連れていってくれるなど、すべてにありがたみをもつ ことを日常にしたいと思いました。今年の夏休み、ボランティアにさそってくれた、お父さんに、「ありがとう。」と伝えたいと思います。