高校生・一般部門 長崎県知事賞  つながる出会いと深まる友情 一般 おりた ほだか  「一緒に遊びに行こう。」 このような言葉を障害のない人が障害のある人に対して、声をかけた経験はどれぐらいあるだろうか。 私は身体障害者として、約二〇年間生活してきた。障害のある状態で生活する中で家族の支援無く、障害 のない仲間とその仲間が運転する車に乗って遊びに行ったことはなかった。全ては大学生活を送る中で出会った仲間たちの「心の輪」からのスタートであった。私は二つの新しい世界へ導かれた。 私は今大学で、当事者目線で障害者の支援がしたい と社会福祉士を目指して勉強している。大学で出会った仲間との出会いが私を新しい世界へ導いてくれた。 一人の大学の仲間との出会いからのはじまりだった。大学の同じ講義を受講してから少しずつ話す回数が増えてきたことを覚えている。 高校でいう放課後時間というものの楽しさを教えてくれたのが彼女だった。私の似顔絵を描いてくれたり、楽しい写真を撮ったりと今までの学校生活では経験出来なかった時間を知ることができた。大学進学前までの学校生活は、学校の先生や 家族の見守りなど常に誰かが傍にいたため、このような仲間同士しかいない状況での楽しい放課後時間を過ごすのは初めてだった。彼女が私を一つの新しい世界へと導いてくれたと言ってもいいと思う。  そして、もう一つの新たな世界への導きは、彼女から大学の学園祭の時に紹介された大学外の人との出会いであった。紹介された人とは初対面のはずなのにも関わらず、何か初対面の感覚が全くなかった。それは、彼が障害に関する差別や 偏見の捉え方や考え方がなかったのだろうと思う。最後は、彼とハグしてその場は別れた。その時に彼と連絡先を交換してから頻繁に連絡を取っていた。そのやり取りの中で、「一緒に遊びに行こう。」という話になり、彼が私を新たな世界へ 導いてくれたのだ。 彼とつながってから約半年後、彼が運転する車に乗せてもらい、車に乗っての男二人旅がはじまった。佐世保の海きららや、西海橋などを回るドライブコースだった。長時間のドライブだったが、車内の楽しいやり取りが多くあり、 長時間と感じない程だった。車の乗り降りの介助も車椅子を押すなどのサポートも彼が全てしてくれたため、何の不安もなかったどころか安心感だけが私の心の中に残った。その旅の最後に彼から聞いたのは「車椅子の人を介助したり、サポートするの 初めてやったけん、昨日You Tubeの動画観て勉強してきた。」と言ってくれた。彼のその想いがすごく嬉しかった。彼の優しさと思いやりが、その時に私が抱いた安心感につながったと思う。  障害があるということは、障害がない人以上に多くのサポートを周りの人にお願いをしなければならないという現状がある。しかしながら、障害があるからといって気軽に遊びにいけない状況がこの社会にはあると実感している。今の社会は関わる人に 「障害がある。」というだけで、関わることを躊躇したり差別や偏見の目を持ったりすることが多くあると思う。今回の彼らとの出会いから導かれた新しい世界は、障害があるからといって関わることを躊躇したり、差別や偏見の目を持たずに、 一人の人として私と関わってくれたからこそ導かれたのだと思う。家族のサポートではなく、仲間のサポートで経験できた、この放課後時間や男二人旅の思い出など仲間たちに導いてもらった新しい世界は格別である。これからも、素敵な出会いから たくさんの新しい世界が待っているだろう。出会った仲間たちと共に、出会えたことに感謝しながら、心でつながる輪を大切にして生活したい。 「一緒に遊びに行こう。」 この言葉を障害があるなしに関わらず、誰もが気軽に言い合える社会が来ますように。   高校生・一般部門 長崎県教育委員会教育長賞 考え方、感じ方 向陽高等学校 3年 はしもと なお  みなさんは、障害を持っている人についてどう思いますか。マイナスな感情を持っている人もいると思います。例えば、かわいそう、関わりたくない、変、興味がないなどがあげられます。反対にプラスな感情を持つ人もいると思います。例えば、 優しくしよう、手助けしなくては、積極的に関わろうなどがあげられます。多くの人が助けてあげなくてはと思うと思います。なぜなら、私もそういう風に考えていたからです。障害を持っている人を見かけたら何か手伝うことはないか、と思うことも あれば、一人で何かできているとすごいなと感じます。しかし、果たしてそう考えるのはほんとうに正しいのかと考えるようになりました。そのように考えるきっかけとなったのは、電車でダウン症の人をよく見かけるようになったからです。  私には二歳上のダウン症の兄がいます。ダウン症は見た目や発達スピードに特徴があります。また、生まれつき心臓や消化器官のはたらきが悪かったり、他の病気にかかりやすかったりすることもあります。他には、物事が理解しにくかったり言葉を 発しても聞き取りにくかったりします。今まで一緒に生活している中である程度この病気について理解できていると思っていましたが、人によって症状の度合いは変わります。私は兄の場合一人で電車に乗ることは難しいと思っていました。しかし、 最近兄と同じくらいの年齢のダウン症の方が一人で電車に乗っているのを見かけるようになりました。私は、ダウン症の人でも一人で電車に乗れるんだと思い、すごいなという風に感じていました。でも、そのように感じた時にふと思ったのです。 同じくらいの年齢で、自分にとってはあたり前のことでも、ダウン症を持っているというだけですごいと思ってしまうのはなぜなのだろうかということを。なぜそのように考えてしまうのかは、障害を持っている人達の出来ること、出来ないことを 勝手に決めつけているからだと思います。そのような考え方は障害に対して偏見をもっているのと同じではないかと思うようになりました。 人にはそれぞれのペースがあり得意・不得意があります。障害を持っていない人が上手にできることもあれば、 反対に兄のように障害を持っている人が上手にできることもあります。人それぞれ難しいと感じることは違います。私は「障害」を病気や症状といったマイナス面でとらえるのではなく、その人の個性としてプラスに考えていこうと思いました。 どんな外見や個性をもっていても同じ人間です。同じ人間だからこそ、その人の価値や可能性を勝手に決めつけるのではなく、お互いに対等であると考えるべきだと思います。出来ない人がいるのならば、出来る人が助けてあげたらいいし、ゆっくりしか 出来ないのならば代わるのではなく待ってあげたらいいと思います。自分の得意をいかしてお互いに助け合うことが必要です。また、自分とは違う人間としてとらえるのではなく、一人の人として理解していく考え方も必要です。そういう風に考えることが できれば、障害を持っている人がもっと生きやすく自分自身を発信していけるのではないかと思います。  私にはまだ分からないことが沢山あります。障害を持っている人がどんな風に考えているのか、どのようなことが嫌なのか、不便なのかなど分からないことばかりです。体験してみないと分からないこともあります。でも、私が一番大事だと思うことは、 実際に障害を持つ人と話したり、接したりすることで理解を深めることだと思います。目が見えにくい、手足がないといった外見で分かる身体的障害を持っている人と、精神面、知的面といった外見では分かりにくい内面的障害を持っている人とでも 感じていることは一人一人違うと思います。そんないろんな人と関われる環境を増やしていくべきだと考えます。障害の有無に限らず、いろんな人がいる、いろんな考え方があるということを知ることで差別やいじめなどの人権問題も減っていくと思います。 そんな世の中に変わっていけるようにしたいです。 高校生・一般部門 長崎県社会福祉協議会会長賞 音としては聞こえるけど、言葉として聞き取れないとは? 一般 下玉利 郁美  難聴者の方に「音としては聞こえているけど、意味や言葉としては聞き取れない」と聞いた時に、私はその意味が分からなかった。これは、要約筆記者養成研修初日に、初めて聞いた衝撃的な言葉だった。聞こえるけど、入ってこない?どういうこと? 映画を観るとき英語でペラペラ話されても分からない感じ?フレンチメニューをフランス語で説明されてもチンプンカンプンみたいな感じ?などと思い悩んだ。 どうしたらその思いを共有できるだろう、少しでも共感するにはどうしたら?せめて、 ロービジョンの方の行動体験・アイマスク体験のように、"キャップ・ハンディ"できたらいいのにとも思った。 講義後半では、「聞いて理解できないだけではなく、言葉も文化も違う異国にポンッと放り出され置き去りにされたようだ」と話された。  そこで、また考えた。東京の真ん中で迷子になったみたいかな?突然!サハラ砂漠に置きざりにされた感じ?外国旅行ツアーで皆とも通訳者ともはぐれて途方に暮れる感じ?と手探り状態だった。 そして、あれこれ思いを巡らせると同時に、つかみどころの 無い不安や恐怖に襲われた。毎日、そんな思いを抱えながら暮らしておられるのだろうか、家族や支援者は近くにいるのだろうか、何らかの社会福祉サービスに繋がっているのだろうかと心配になった。  そんな複雑な気持ちを抱きながらだったが、無事に養成研修を終えた。聞こえにくい方々の一助になりたい、病院受診や医療・介護・福祉分野を目指す学生さんのお役に立ちたいという当初の目的のために手書きコースを履修した。 要約筆記とは、 その場の通訳。聞こえにくい方に、その場の話の内容を文字で書いて通訳する。 そこで、また新たな壁が立ちはだかった。字が下手、真っ直ぐ書けないという致命傷。これらを克服しようと、文字の練習を始めたり筆ペン教室に足を運んだりした。  時を同じくして、初孫が小学校へ入学した。孫が通った認定こども園は、「斎藤公子メソッド」(さくら・さくらんぼ保育)の素敵な園だった。海や山に囲まれた郊外の園で、熱い思いの先生方に、それはそれは大切に育んでいただいた。四季折々の自然豊かな 環境の中、身体と心・言葉・社会性・文化性・集中力等々、本物に触れさせてもらいながら、伸び伸びと成長した。 しかし、そのメソッドは、文字を教えない方針で入学前にはとても心配した。「自分の名前も書けなくて大丈夫やろか」「ついていける?」 「周りと比べて悲観しないだろうか」と気が気ではなかった。 在園中に、先生方や園で開催された研修の講師の方々からは「心配ありませんよ」だった。字や数字を学んでなくても直ぐに追いつく、授業を受けるためにも書字の前にも、その行動を成す為の 保育で育っているから。数字は書けなくても、数字の概念は育っている。だから安心してくださいとの言葉を信じて入学した。その言葉を「あ〜、こういうことだったんだ」と実感できたのは、入学後の五月頃だった。 そんな孫と、字の特訓が必要な私は、 肩を並べてひらがな練習に励んだ。「ばあばも、ひらがなば書くと?一緒ねえ」とニコニコしながら「ゆっくり、丁寧に書かんばよ」と、新米先生の指導の下、五十音表を手本にせっせと書いた。筆ペン教室の先生からは、「聞く力・見る力・書く力」の三原則の 助言があった。孫の保育に似ているな、と思った。ただ、がむしゃらに書いても上達しないんだ。書字もスポーツも何でも、基礎って大切なんだとしみじみ思った。 要約筆記は、障害者総合支援法における意思疎通支援者の養成・派遣事業の一環だ。  聞こえにくい方々のために、その場の通訳者として頑張ろうと思っている。土台を築くために、字の練習は継続している。より良いコミュニケーションのために、私の知恵袋や引き出しの豊かさも必要だろう。専門的な知識もリベラルアーツ的な知識も 要るだろう。楽しく自己研鑽していこうと思う。 また、七月から「長崎県失語症者向け意思疎通支援者養成講習」を受講している。人知れず困っておられる方が身近にいらっしゃるのではないか、要約筆記で学んだスキルが活かせるのではないか、何か お手伝いできるのではないかと思い申し込んだ。 一口に障害と言っても、千差万別、年齢も障害も何もかも異なる。講師の言葉を借りると「同じ土俵の上で対話できる」ように、ニーズをキャッチして「痒いところに手が届く」ような支援者になりたい。  また、私たち一人ひとりの力は小さいけれど、支援者が団体として声を上げれば、充足しているとはいえない障害福祉サービスへ一石を投じることができるのではないかと、身の丈を超えた理想もある。 これまで、志を同じくする仲間たちにもたくさん 出会った。彼らと手を携え、力を合わせて明るい未来へ進んでいこう。 高校生・一般部門 長崎県身体障害者福祉協会連合会会長賞 障がい者との関わり 長崎県立諫早農業高等学校 2年 きしだ あいな     みなさんは、障がいがある人に対してどのように接したり、声をかけたりしていますか。 私は小学校のときに、普段から車いすで生活していてうまく話すことができない男の子と交流をする機会がありました。私と同じ年齢で、近所に住んでいる子でした。 小学校に遊びに来てくれた時にはみんなでボールを使って簡単なゲームをしたり、歌を歌ったり、給食を食べたりしました。男の子が初めて来たときは、どういう話をしたらいいのか、どのように関わったらいいのかみんなわからなくて距離があったように 感じました。しかし、たくさん交流をするうちにみんな打ち解けていて話しかけたり遊びに誘ったりしていました。車いすに乗っていることと、うまく話すことができないというだけで壁を作ってしまうのは間違っていることだったと思います。楽しく話すことが できて、一緒に遊ぶことができて、ほかの人と何も変わらずに関わることができました。最後には笑ってハイタッチしてくれたことを今でもはっきり覚えています。その時はとてもうれしかったです。その男の子がみんなの前で、みんなと交流をした感想を 言ってくれたことがありました。みんなと遊ぶことができてとても楽しかったこと、話しかけてくれてうれしいと思ったことなど交流を通して感じたことを話してくれました。みんな真剣に聞いていて、このような些細なことが大事だと思いました。 私もその日とても楽しく過ごすことができて時間があっという間に過ぎたなと感じていました。そのあとも何度か小学校に遊びに来てくれて楽しく交流をすることができました。最初に男の子に出会った時のように障がいがある人へ関わったこともないのに壁を 作ってしまうのは男の子と直接関わってみたことでよくないことだと思いました。 障がいがある人への差別は今でもたくさんあると思います。障がいには身体障害、知的障害、精神障害の三つが主にあります。障がいがある人への偏見や誤解を取り除くためには、 私たち一人一人が理解を深め、積極的に行動することが必要です。学校の道徳の授業などで今まで障がいがある人について考えることは何度かありました。そのような時間はとても大切だと思います。障がいがある人について正しい知識を持つことは、 差別を防ぐためにとても重要になります。障がいに関する正しい情報を持ち、障がいがある人が直面している困難について学ぶことで、偏見をなくし、理解を深めることにつながります。障がいがある人への理解と支援を進めるには、一人一人に意識を高める ことが重要だと思います。私たちが日常生活で無意識に行っている行動や発言が、障がいがある人に対してどのように影響を与えるかを考えることが必要です。例えば、障がいがある人を特別視せず、一人の人間として接するということです。 また、障がいがある人に対して、相手の立場に立って考えられていないような失礼な発言や偏見をもたないようにするということです。失礼な言動をしないようにするため、偏見を持たないようにするためには、日々のコミュニケーションにおいて相手を 尊重する姿勢をとることを心がけることが大切です。障がいがある人はほかの人よりも優れた能力を持っていることもあります。障がいを持っている人の特別な技術や才能に触れることでいろんな価値観について考えることができます。障がい者自身も 自分の権利を主張して社会に関わることが求められます。障がいがある人への差別をなくすためには、すべての人が積極的に関わり合い協力し合うことが重要だと思います。障がいがある人が平等に扱われ、自分を表現できる環境を整えるには、自分から相手の ことを理解しよう、自分とは違う部分があってもそれが個性だと尊重しようという意識に変えることです。差別のない社会が実現できたらいいと思います。 高校生・一般部門 長崎県手をつなぐ育成会会長賞 あられが教えてくれた新しい世界 一般 ひらやま あいり  初めての出産。激痛を乗り越えて出会えた、目がくりくりの女の子。初めての授乳。全く飲まない。飲み方がわかっていないようだ。授乳の間隔を無視して寝たいだけ寝せ、飲ませてみると、少しずつ飲めるようになった。これがあられとの出会いだった。  初めての離乳食。口に入れた途端吐き出して食べない。色んなものを試したけど食べてくれない。あまり気にせずとにかく可愛いあられとの時間を大切にした。二歳になったある日、買い物へ行く時にチャイルドシートを嫌がった。すぐ近くのスーパーだった ので無理矢理乗せて向かった。すると、着いた途端道路に飛び出して大号泣。追いかけると海に飛び込もうとした。話しかける度、つかまえるごとにパニックはひどくなった。帰宅して『パニック障害』を調べた。なんか違う。アンパンマンミュージアムに行った。入った 途端機嫌が悪くなった。ショーも見ずに泣いていた。子供が好きそうな場所はあられには楽しい場所ではないようだ。おもちゃで一緒に遊ぼうとしても必ず怒る。そして、いつの間にか話せていた言葉を話すことが出来なくなっていた。  何かがおかしい。病院へ向かった。色んな検査を経て出た診断名は『自閉症スペクトラム』ネットで調べていたのでそうかな?とは思っていた。ショックはなかった。今まであられに抱いていた違和感の原因がやっとわかった。すっきりした。 原因がわかったのなら、これからはあられの世界を知って対応を勉強しよう。そう思い、道が開けた気がした。 日々、あられの行動を観察し分析した。癇癪やパニックには必ず理由があった。言葉を話せないあられの精一杯の意思表示だと感じた。パニックの 原因を取り除くことで穏やかに暮らせる日が多くなってきた。 自閉症のあられはこだわりが強い分、真面目な性格だということがわかった。感受性が豊かな分、とても優しい。そして気づいたら私は娘のあられを尊敬していた。そんな時、ふと思った。 この発見をたくさんの人に知ってほしい。あられが自閉症の診断が出る前の私と同じように、悩んでいる人がいるのではないか。 You Tube 『あられちゃんねる』を開設した。あられが楽しそうに遊ぶ様子も、パニックを起こしている様子もありのまま 発信した。すると予想外のことが起きた。同じ境遇の方から感謝の言葉が届いた。また、自閉症の育児を経験した方からたくさんの応援やアドバイスをもらった。誰かを勇気づけたいと思って始めたことで、私が元気をもらった。 周りの環境や配慮のおかげで あられは、人が怖くない、人と関わることは楽しいことだということを知った。そして再び喋り出した。 ネット上だけではなく、同じ境遇の方と実際に会いたいと思った。地元で座談会を開催した。想像以上にたくさんの方が参加してくれた。そこでの話は 驚くほど共感できた。誰かと繋がることの大切さを再確認した。まだまだ自閉症が周知されておらず、生きづらさを感じている人がたくさんいることも知った。あられが私に新しい世界を教えてくれた。この経験を生かしたくて、自閉症の支援団体NPO法人 『みんなのわ いっぽいっぽ』を設立している。 同じ境遇で子育てしている方が一人で悩むことなく、困った時は躊躇せずに来ることができる『居場所』を作りたい。子供達が大人になる時には、現在よりも生きやすい社会が作れているよう、 私たちに出来ることをいっぽいっぽ進みながら活動していけたらと思う。 あられ、私をママにしてくれてありがとう。人として大切なことを教えてくれてありがとう。 高校生・一般部門 長崎県知的障がい者福祉協会会長賞 壁を、超える 長崎県立長崎北高等学校 1年 うらやま りこ  私は、小学一年生の頃から空手道のクラブチームに所属している。高校受験を機に疎遠になってしまっていたものの、高校生となった今、道場の先生も高齢になり、一人で小中学生何十人もの指導をするのは大変だという思いから、私自身も時間の許す限り 道場に出向き、先生の指導をサポートするようになった。 私が空手と疎遠になっていた半年の間に、この道場には大きな変化があった。それは先生が道場へ、積極的に発達障害の子ども達の受け入れを始めたことである。発達障害には主に三つの種類があり、 その種類ごとに症状は異なるが、道場に来る子ども達の多くは、物事に集中することができず、忘れ物や物をなくすことが多い「不注意」と落ち着きがなく、じっとしていることが苦手で、思いついた行動を唐突に行い、順番を待つことができない 「多動・衝動性」を主な特徴とする、注意・欠如多動性(ADHD)の子と、他者とのコミュニケーションが苦手で、同じ行動や活動を繰り返すことを主な特徴とする、自閉スペクトラム症(ASD)の子がほとんどだ。 空手には一人で演武をする形と、 実際に相手と一対一で戦う組手があり、私は主に小学校入学前から小学校低学年の子ども達へ形を教えることが多い。教えている子ども達の中には、障がいがある子もない子もいるため、教えられた通りに練習する子もいれば教えている最中に走り出してしまう子、 黙って立っているだけの子もおり、形を覚える速さに差が生じてしまうのだ。様々な特色の子ども達がいる中で、どのレベルの子を基準として練習をすればよいのか。教えている通りに練習する子達に焦点を当てて、形の細部まで指導するか、それとも走り回って いる子を連れ戻して練習に参加させるか。いくつもの考えが頭をよぎった。 その時、形を既に覚えていた一人の男の子が、「お前、名前なんて言うの?俺が教えてやるよ。わかんない所あったらなんでも聞いて!」と黙っていたままの子に手を差し伸べたのだ。 子ども達の互いに支え合う姿を見て、私は今までの自分の考えがどれだけくだらなく、ちっぽけなものだったかに気付かされた。 それからというもの、道場内では障がいのある子への周囲の接し方がほんの少しではあるが変わってきたような気がする。 自分の考えを伝えることが難しい子には、手取り足取り時間をかけてゆっくりと伝え、じっとしていることが苦手な子には、リレーや鬼ごっこなどの沢山体を動かし、体力をつける運動を主な練習とした。 発達障害の子は自分の意見を言えない、何もできない小さな存在。だから助けてあげないと。その思 いはある程度必要かもしれない。時にはその思いを行動に移さなければならない時が来るかもしれない。しかしそれはその子が、助けてほしいと自らの言葉で、行動で示した時だけでいいのだ。立ち止まっていたら小さな助け舟を出してあげるだけでいい。」 少し思いを表現するのが難しいだけで、その子なりに自分の思いや考えを、自分の言葉で紡ごうとしているから。何も変わらない、かけがえのないたった一人の人間なのだから。 私には夢がある。一つは小学校の教師になる夢だ。大人数での集団行動が 苦手な子や、理解をするのに時間がかかる子達の心の拠り所になれるような、そんな教師になりたい。そしてもう一つは空手の師範になる夢だ。今もお世話になっている道場の先生のように、私も障がいの有無に関わらず、全ての子ども達が空手やスポーツを 楽しめるような指導をしていきたいと思う。また、私の指導によって、あの日の男の子のように、困っている人がいたら自然と手を差し伸べることができるような子が一人でも多く増えてくれたら、これほど嬉しいことはないだろう。  スポーツには、障がい者と健常者の壁なんて跳ね返すほどの大きな力がある。誰に何を言われようとも私は信じる。信じ続ける。この思いを胸に、私はいつにも増して黒帯を力強く締めた。 高校生・一般部門 長崎県精神障害者家族連合会会長賞 本当の意味での理解 向陽高等学校 1年 いけもと きずな 「障害者」この言葉は障害者基本法によると、身体障害、知的障害または精神障害があるため、継続的に日常生活または、社会生活に相当な制限をうける者とあります。この言葉を聞いて思い浮かべることは人それぞれだと思います。可哀想。大変そう。 自分には関係のないことだ。私は沢山の差別がこの世の中から無くならないのは、自分と違う人達との「違い」を知ろうとしない、理解しようとしないからだと思います。 皆さんは口を揃えて「自分は差別をしていない」「障害者の方について理解している」 とよく言いますが、果たして本当にそうなのでしょうか。耳が聞こえない、目が見えない、自分の思い通りに体が動かない、沢山の普通を当たり前に出来る人が何も考えずに自己中心的な考えで思ったことを口にしてしまうことが差別の始まりです。 普通にできる人からすれば、当たり前のことすぎて、気がつかないのかもしれませんが、当たり前じゃない人がいることを、表面的にだけ理解した気になっている人が、この世の中には沢山いると思います。私も少し前まではそうでした。 私は、中学二年生の時に 精神疾患を発症しました。つまり、精神的な障害があるということです。私は、この病気と闘う中で「障害者」について気付いたこと・考えたことがあります。それは、自分が今まで送ってきた生活は、全然当たり前では無かったということです。病気を 発症してから、朝起きて思うように体を動かせない、長時間同じ場所に立ち続けることができない、階段の上り下りが上手くできない、緊張してしまうと上手く呼吸ができなくなり、痙攣して発作を起こしてしまうなど、今までできていたことが突然 できなくなっていきました。特に高校の受験前は朝から起き上がれず、学校に行けない月も増え、思うように勉強ができず毎日焦ってばかりでした。当たり前にできていたことができなくなってから、障害のことについて沢山考えるようになりました。 色々考えていく中で、今まで私は障害者の方の何を理解してたんだろう、学校で沢山勉強はしてきて理解していた気になっていただけなのだということに気付きました。 世の中に沢山の人が居るのと同じように、「障害者」というくくりの中にも沢山の方が 居ます。私のように精神的に障害がある人、聴覚に障害がある人、知的に障害がある人などさまざまです。「障害者」というくくりでも、どんな障害をかかえているのか、障害についてどう思うのか、どう向きあって生活していくのか、どんなことが辛いのか、 大変なのかなど、一人一人が違います。私は、学校で障害者の方との接し方、手助けの仕方など沢山のことを教わり、障害者の方について理解できたと思っていました。ですが、実際、自分が障害者の立場になってみて、沢山サポートをしてくださるのは 嬉しかったのですが、よく心配されるようになり、私にとって逆に心配されることが負担になっていきました。確かに勉強したことは理解できているかもしれませんが、それはあくまで表面的に理解していただけであって、その人がどう思うのか、 どう感じるのかなど、相手の立場に立って考え、理解することはできていなかったと思いました。その時私はこう考えました。相手の立場に立って考えても、結局自分が考えているから相手の全てを理解することは難しいかもしれない。でも、それをしようと しない人だっている。そのような大人を見て育ってきた子供が、その大人と同じように育ってしまうのは当たり前のこと。だから現代、この令和の時代になっても差別がなくならないのだと。 人は皆、生きている限り色々な人と出会います。どうしてこの人は みんなと違うのだろうと考える時もあると思いますが、それは自己を中心として物事を考えているからだと思います。色々なことを自分を中心として考えているせいで、相手との「違い」を素直に受け止められない人が多くいるのだと思います。相手の好き嫌いや、 得意、不得意は簡単に受け入れることができるのに、「違い」はそう簡単には受け入れることができない。だからこそ「理解しようと努力すること」「伝えようとする気もち」そういったことが大切になってくると思います。 私は、小さい頃から人に優しく しなさい、大事にしなさいと教わってきました。この世の中の人全員がこのことを意識し、守っていくことができたら差別はきっと無くなるはずです。つい自分のことで精一杯になってしまう気もちもよく分かりますが、そんな時でも相手のことを知ろうとする 努力を怠らない、自分の気もちを相手に伝えるなど、沢山の「心の輪」を広げていくことで差別のないより良い世界になると考えています。会話ができないなら、手話や筆談などで、同じ行動ができないなら、手伝いをしながらで、心の支えが必要なら、 相談に乗りながらで、それに加えて笑顔でいること。常に相手への思いやりを忘れず、一人一人が一番いいと思える生き方で、この世界がいつか笑顔で満ちあふれることを信じて、今自分にできることは何なのかしっかり考えながら楽しい人生を送っていきたい と思います。 高校生・一般部門 長崎県精神障害者団体連合会代表賞 はなすということ 長崎県立諫早農業高等学校 3年 まつお みさき 私は小学生の時ある友達と出会いました。その子は小学校一年生の時から話すことが苦手だったようで、発言やみんなの前で発表や発言をすることはありませんでした。私のクラスの友達はおしゃべりをしないその子のことを避けるようになり、だんだんと 離れていきました。私は発表や人と話すことが大好きだったので、みんなと声で話をしないその子のことが正直とても不思議でした。そしてある友達は私にあの子は障害を持っているらしい。と伝えてきたこともありました。 小学校三年生になったころ、 私はその子より一つ後ろの出席番号になりました。それから私はその子と一緒にいることが多くなり、教室や休み時間はその子とよく紙を使っておしゃべりをしていました。その子は紙に字を書いて教えてくれたのです。私は思い切って、なんでおしゃべりを したくないのか聞いてみました。そこには「おうちではみんなとおしゃべりするんだけど、お友達やみんなの前で話すと、すごくきんちょうするんだ。」と書いてくれました。何も話さないと思っていたその子は、私に伝えようとしてくれていたのです。  その日から私は、その子と紙を使って話すことが多くなり、その子は絵を描くことが好きで、それもすごく上手だとわかりました。二人で話していると、その子と声に出して笑っているような気持になりました。 だんだん仲良くなっていくと、 周りのクラスメイトがその子の絵のうまさに驚き、たちまち話題になりました。その子は恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、ニコッとうれしそうに微笑んでいました。その日から、私のクラスでは小学校一年生の時のようなその子をみんなが避ける雰囲気 ではなく、みんなでその子を尊重するようになりました。その子の発表順になると発表好きな友達が「せんせい!自分が読みたいです!」と率先して手を挙げるようになりました。それを見て私は、きっとみんなは以前の私と同じように、まだ知り合いにも なっていないのに決めつけてしまっていたんだなと感じました。みんなの前で話せないからって何もできないのだと。 一つのことができないのではなく、苦手なのです。私は裁縫が苦手だけど、あなたは裁縫が得意かもしれない。私は友達やみんなの前で 話すことが得意だけど、その子にとっては苦手なだけだったのかもしれません。 私たちの学校生活の中でも、知り合いにもなっていないのに、偏見で物事を決めてしまう人が多くいると感じます。また現代では、SNSでの誹謗中傷等により精神的な障害を 抱える人も多くいます。 この偏見をなくすためには、まず考え方を変えなければなりません。私たちは無意識のうちに考えを型にはめ込むステレオタイプの考え方に偏ってしまっています。それにより一人一人を単純化し、その人自身の特性や性質を つぶしているのです。そして個人の可能性を制限することにもつながりかねません。そのため、私たちは自分の中にステレオタイプがある可能性を認めなければなりません。その固定概念や先入観を認めることがステレオタイプを克服する第一歩になると考えて います。 そして次に必要なことは、偏見を持たれる人と話すことです。私も、その子と話すことができたからその子を「知る」ことができました。見た目では絶対に気づかなかったことに気づくためには、人と話し、知ることが一番大切です。  人は違って当たり前です。その違いをお互いが認め合い、尊重していくためにはこの二つが大切になると思います。 その子は、私やクラスメイトに様々なことを教えてくれました。障害の有無以前に、私たちだってできないことがあること、障害が あったってなくったって、それは助け合うことができるということ。 私は今でも人と話すことがだいすきです。なぜならば、今まで知らなかったことを「知る」ことができるから。 高校生・一般部門 長崎県身体障害児者施設協議会会長賞 心の通い方 長崎県立諫早農業高等学校 2年 かんだ ゆづき 人間の心には、目に見えないけれど多くの感情や思いがあると思います。人それぞれが持っている経験や背景などとは異なっており、障害のある人とない人の間には、沢山の壁があると思います。理解の差やコミュニケーションなど、ですがこの壁を越えた時に 心の触れ合いが生まれ、お互いにとって大きな支えになると思います。 私はバスで通学する際、ダウン症を持った男性と席がよく隣になります。私はよく両耳にイヤフォンをしており、この男性が隣に座ったこと、その男性が私に何か話しかけていたことにも 何も気づきませんでした。ある日、私がイヤフォンを忘れたことがあり、その男性がいつものように隣に座った時に「おはようございます。」と言っていました。私はその時、私に対して言ったのか、ほかの人に対して言っていたのかわからず、返事を返さずに いました。そしてバス停から学校へいつも一緒に行く友人から、「神田やっと今日きづいたね。」と言われました。その障害を持った男性は私の隣に座る度、私の方を向き「おはようございます。」と言っているとその友人が教えてくれました。私はその時 とても申し訳なく思いました。いつも隣に座る度に挨拶をしてくれていたにも関わらず、私は無視をしていたのです。そのことを聞き、ダウン症の障害について調べ、母に聞いてみることにしました。母は、「ダウン症の子はとても心が綺麗なんだよ。」と 教えてくれました。私はこのことを知り、次の日からちゃんと挨拶を返そうと思いました。挨拶を返したときにその男性はにこっと笑顔になってくれました。私はその時、とてもうれしく感じました。私は、このような何気ないやり取りでも目を合わせて笑顔を 交わすことができると、心の触れ合いに繋がると思いました。 お互いが心を触れ合わせるためには、障害に対する偏見を無くし、知識を持っておくことがとても大切だと思いました。私は今回の件で何気ない日常の中で触れ合うことができ、ダウン症という 障害の知識を取り入れることもできました。知識をもつこと、触れ合うことで異なる視点を学ぶことができ、日常では小さな喜びや、大切なことを改めて理解ができると思います。 障害のある人とない人が心を通わせることは、どちらにとってもとても大きな 価値があり、障害を持った人達にとって大きな支えになると思います。そのためにもいろんな人たちが触れ合うために、特別支援学校や地域の福祉施設で行われる交流イベントや障害のある人を支援するボランティア活動に参加するなど、障害のある人とない人が 出会ういい機会になり、互いに理解を深め合うことができると思います。このようなことを行うことによって、日常的には触れ合うことのできない新しい世界を知ることができ、自分自身の成長にも繋がると思います。 障害のある人との心のふれあいを 促進させるためには、まずは理解を深めることが重要です。学校の授業などを通じて、障害に関する正しい知識を持つことで、不安や偏見も和らぐと思います。理解が深まると、自然と触れ合いも生まれやすくなるでしょう。 障害のある人とない人との心の 触れ合いは、互いに豊かな学びをもたらすものです。このような関係を築くことで、私たちの社会がより温かく、理解に満ちたものになると思います。それぞれの違いを認め合い、支え合うことで、お互いが共生生活を実現できると思います。心の触れ合いは、 私たちの心を豊かにし、新たな視点や感動をもたらす、大切な要素になると思います。 今回のこのような体験をこれからにいかしていこうと思いました。障害に対する知識をこれからも沢山取り入れて、交流を深めていきたいと思いました。 高校生・一般部門 佳作 生きることは楽しい 一般  しもだ くにひろ  私が、好きな本の一節です。「新感覚のアイデンティティ、生きるって楽しい!」プロローグ(生きることは楽しい、何きれい事を言っているんだ、と非難されそうな言葉です。職場での人間関係、家族の不仲、金銭問題、体調不良。悩みがつきず、 一難去って、また一難。人生なんて楽しくない。そんな人は、多くいます。まして社会は、不安を与えるような出来事に溢れているように見えます。しかし、だからこそ、私は一人一人に向かって大丈夫だ、と声を掛けたいのです。) 就労支援B型事業所に、通所して四年目を迎えました。通勤時には、色んな方にサポートして頂いています。以前は、お手伝いして頂く為に、私から声を掛ける事が多かったのですが、最近では、周りの方々から近づいて来られてサポートして下さいます。 今日で三回目とか、四回目とか、最高の方は十回サポートしましたという方もいらっしゃいます。以前は、知らない人に声を掛ける事に抵抗がありましたが、今は楽しいです。サポートして頂く時は、肩を貸して頂きます。会話のキッカケは、身長の事です。 三年間で延べ三〇〇〇人以上の方々に、肩を貸して頂いていますので、大体の相手の方の身長が分かるようになりました。その楽しい声掛けを更に楽しむ為に、一人旅に出かけました。JR諫早駅からJR京都駅を経由して地下鉄で国立国際会議場まで、 日帰りの旅。一人旅でJRさんを使わせて頂き、駅構内は全面的に駅員さんにサポートして頂きました。特に、JR西日本鉄道の(京都駅)(新大阪駅)(大阪駅)(尼崎駅)の乗降者数の多い主要三駅と、経由が多い駅の(尼崎駅)は、ハンディのある人に専門の駅員さん が常駐されていましたので、行き帰り共に同じ人のサポートを受けました。買い物も付き合って頂いて、駅構内でお土産を購入。新幹線に乗車するまで、構内の案内をして頂きました。私は、今まで日本語で、外国の方と会話し、楽しい時間を過ごした事が ありました。今回は、京都の旅なのでEnglishでコミュニケーションに挑戦しました。地下鉄駅員さんに外国の方の隣に座らせて頂いて、会話を楽しみました。私は英会話が得意な訳でもなく、英検が良い訳でもなく、どっちかと言うと、英語は苦手で 英検五級です。 私が大切にしている「どうしたら毎日が楽しく過ごせるか。」は、大谷翔平じゃないですけど、「目標を決めて、楽しむ!」ですね。パソコンを始めたキッカケも、長崎県障害福祉課主催の『出会い、ふれあい、心の輪を広げる体験作文』に 投稿をする為でした。今回で三年連続、三回目の投稿です。外出できるのは、周りの方々のサポートや会話があってこそ。買い物も、今はスマホで色んなアプリがあり、バスの時刻、歩行サポートとか、随分、周りの人達の手を借りずに出来る事も多くなりました。でも私は、周りの人達とコミュニケー ションを取りながら「買い物」「新聞」「雑誌」などをサポートして頂いています。その後に、シェアさせて頂く事が、またまた楽しいのです。先日、「ナイスいさはや」情報誌を、色々な方々に音読して頂きました。音読して頂いた方のコメントは、@人名を 読むのが難しかった。A縦書きだったので、意味が分かるように読むのが難しかった。B音読する事で、サポートする事が出来るんですね。音読して頂け無かった方のコメントは、@知らない人の前で、読めない。A恥ずかしい。Bインドネシア人で日本語で 会話は出来ますが、読む事は出来ませんでした。 また別日、夜九時頃に一人でタクシーを利用させて頂きました。行き先を聞かれて、自宅の町名を伝えました。すると、運転手さんから予想外の言葉が、「ぼく、今日で三日目です。」「エー、三日目?」 新聞記事、テレビ等で、聞いていましたが、運転手不足が諫早市にも来ていました。運転手さんも、私を自宅に届けられるか不安を感じておられたのかもしれませんが、私も道順を正確に伝えられるか心配でした。そこで、ナビに住所を入れて頂きました。でも、 運転手さん途中で、give up 宣言。運転手さんにお願いして、近くに誰か歩いていらっしゃらないか捜して頂きました。すると、ひとりの方がタクシーの所まで来て頂き、私の顔を見た瞬間に「毎日、一人で歩いている方ですか?」私を、見た事がある方で、 自宅まで、送って頂きました。 私は、周りの方々を見る事は出来ませんが、周りの人達の温かい目で私をサポートして下さっているんですね。これからも皆様よろしくお願いします。ありがとうございます。「生きることは楽しい」 高校生・一般部門 佳作 心の輪を広げる 向陽高等学校 1年 やまぐち はる  私は障がいのある人との出会い、ふれあいをした体験が二つあります。 一つ目は、私は小学校、中学校で車椅子の子と一緒に生活したことです。最初は「車椅子の子いるね。」と友達と話すなど、あまり良いイメージではありませんでした。しかし今考えると その子はなにも悪くないのに私はなんでそんなことを言ってしまったんだろうと一人で思いました。小学校一年生の時に一日車椅子体験をしたことがあります。これは車椅子の子の大変さを知るために行われました。最初は楽しいと思ってやっていましたが トイレにひとりで行くのも大変、階段も自分ひとりでは登れませんでした。私はその時に車椅子の大変さを実感しました。それ以来、車椅子の子の手伝いを積極的に行いました。車椅子を押してあげたり、荷物を運んであげたりしました。しかし私はたまに こう思うことがありました。それは、手伝いすぎても良くないのではないかということです。手伝いすぎると将来自分でできることが少なくなってしまうのではないかと思うことがありました。 ある日、先生からこう言われました。「いつもお手伝い してくれるのはすごく助かるけど将来のためを思って自分でやらせることを増やしてほしい。」と。そう言われて私は廊下などで見かけた時でもちょっと心が痛くなることもありましたが、そのままにして見守ることにしました。 中学校三年生の体育大会で 学年で競技をすることなりました。リレーをすることになり、テーマは「誰もが楽しめる競技」でした。ちょうどその時期に松葉杖をついている子もいました。そういうこともあり、第一走者、第二走者は車椅子で少しの距離を走ることになりました。そして、 その競技は大成功でした。みんながみんなを思いやる心が感じられました。 二つ目は、耳の聞こえない人と一緒にバドミントンの練習をしたことです。耳の聞こえない人と試合をした後にアドバイスをもらいにいってもコミュニケーションがとれないため いつも「ありがとう。」しか言われませんでした。しかし私はコミュニケーションを取る方法を考え、親にホワイトボードを買ってもらい、それに「アドバイスお願いします。」と書き、そのホワイトボードを持ってアドバイスをもらいにいくことで アドバイスがもらえてコミュニケーションもとれることができました。 障がいのある人でも工夫をすることでコミュニケーションをとることができます。だから私はこれからの人生、障がいのある人に出会うのであれば、関わるのを控えるのではなく 自分が工夫して障がいのある人とコミュニケーションをとることを大事にしていきたいです。障がいのある人にいじめをする人もいますが、私はそれを疑問に思います。なぜ障がいがあるからといっていじめるのか、そもそもいじめをするのはおかしいのでは ないか、と。障がいがある人は何かが悪いとは私は思いません。障がいの有無に関係なく、お互いに人格と個性を尊重し合っていくこと、差別をしないこと、障がいのある人もない人も共に生きる平和な世界になっていくことがひとりひとりの 心の輪を広げていくことではないかと私は思います。