県議会の役割と審議

県議会のうつりかわり

明治12年3月
長崎県会開設に際して初の議場に
あてられた長崎市桶屋町光永寺

 明治11年の太政官布告の「府県会規則」に基づき、明治12年1月現在の佐賀県域を含めた最初の県会議員選挙が行われ、新議員62人が誕生し、同年3月17日、第一回臨時県会が長崎市の光永寺において開かれました。その後、明治16年7月、佐賀の分県独立によって、議員定数は34人となりました。明治23年5月、府県制、郡制 の公布をみましたが、本県は離島をもつ特殊性からその施行が遅れ、明治30年4月に郡制、同年9月に府県制が実施され、更に同32年府県制、郡制の全面改正により議員定数も33人となりました。

 府県制の改正は、その後も行われ、更に大正15年7月に普通選挙法が施行され、地方制度もこれまでの納税資格による制限選挙から一般県民(25歳以上の男子のみ)による普通選挙へと制度が改められ、昭和2年に最初の普通選挙が施行されました。議員定数は38人でした。また、戦後は新憲法に成年者による普通選挙の保障が明記され、地方自治法によるはじめての県議会議員選挙が昭和22年4月に行われました。時に議員数51人、うち女性議員1人でした。それ以後は4年ごとに改選が行われています。

 なお、議場は、明治14年までは光永寺、その後明治14年10月に県会議事院兼交親館(外賓接待所)が長崎市立山町に設けられましたが、昭和28年7月、同市江戸町の議場が 開設されるまでには、火災その他で何回もの議場変更がありました。
 平成30年1月に、県庁舎の移転に伴い、現在の議会棟が開庁しました。